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上毛新聞「天翔る夢〜技術を伝えた男たち」

このシリーズが上毛新聞(http://www.raijin.com/)のWeb上に掲載されています。
http://www.raijin.com/news/kikaku/amakakeru/index.htm

「第1部 幻の車 スバルP−1」
2002年1月10日〜2月15日
「第2部 最速に挑む」
2002年2月15日〜2月26日
「第3部 大空への思い」
2002年3月8日〜3月12日
「第4部 地場に生きる」
2002年4月30日〜5月11日
「第5部 小さな発明者」
2002年5月21日〜

第1部 幻の車
富士重工「SUBARU P−1」 開発物語です。
 
 1. 技の原点〜新しい翼地上に求め
 2. 生みの親〜廃墟の中で力を結集
 3. 挑戦〜飛行機から自動車へ
 4. 模索〜悪路克服の実現狙う
 5. 素人集団〜議論重ね難題を克服
 6. エンドレス〜寝食忘れ仕事に没頭
 7. 手ごたえ〜プライドをかけ完成
 8. トラブル〜窮地を救ったきずな
 9. 期待の星〜車体構造に驚く他社
10. 1枚のレリーフ〜挑戦者の精神脈々と
番外.苦難越えスバル誕生
 「P−1」の製作にかかわった小口芳門さんに聞く
新聞掲載日
1月10日
1月11日
1月12日
1月13日
1月15日
1月17日
1月18日
1月19日
1月22日
1月23日
2月15日


NHK総合テレビ 「プロジェクトX〜挑戦者たち」でも「スバル360」の開発物語が放送されました。

SUBARU P−1
SUBARU P−1
2000年7月20日撮影
群馬県立歴史博物館・第66回企画展
「てんとうむしの走った頃〜スバル360の誕生とその時代」
 富士自動車工業(現在の富士重工業の前身)の百瀬晋六を中心として10名ほどの
開発メンバーにより1954(昭和29)年2月20日に試作1号車が完成し、翌年に生産車
が誕生する。1500cc、6人乗り4ドアセダンで、「モノコックボディー」「独立懸架方式」
など当時としては革新的な技術を採用していた。タクシー会社で試験的に使われ「スバル
1500」と命名される予定であったが、エンジンの供給先が決まらず発売されなかった。


SUBARU 360
(SUBARU K−10)
SUBARU 1000
2000年7月20日撮影
群馬県立歴史博物館・第66回企画展
「てんとうむしの走った頃〜スバル360の誕生とその時代」


第2部 最速に挑む
  中島飛行機から、戦後、本田技研工業へ移った中村良夫は、
ホンダF1チームの監督となりホンダの四輪車を世界最高峰に
導いた。関口久一はレース用二輪車のエンジンチューニングを
担当し「マン島TTレース」で優勝、世界制覇の一翼を担った。
  失った大空への夢を、地上の自動車レースの世界につないだ
技術者たちの物語です。

1.参戦〜F1で世界を目指す
2.初勝利〜”空の経験”が実結ぶ
3.招へい〜二輪「必勝」を託され
4.宿願〜熱い思い世界をつかむ
5.屈辱〜威信かけ勝利を誓う
6.伝説〜「スカG」は駆け抜けた
7.意地〜会心勝利で王座奪還
8.勲章〜塗り替えた世界記録
       SUBARU LEGACY RS
       10万キロ世界速度記録達成
新聞掲載日
2月15日
2月16日
2月19日
2月20日
2月21日
2月22日
2月25日
2月26日


 中島飛行機製「ハー45型(誉)エンジン」。重量が850kgと当時、同じくらいの出力が出せる航空機用エンジンに比べて軽量化を実現した。4式戦闘機「疾風」に搭載されていたもので、富士重工が国立科学博物館に寄贈し展示されている。


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